京都に移り住んで寺社仏閣を訪れるようになり、お坊さんの法話を聞くのは心を洗われる至福のひと時です。
先ごろ訪れた鈴虫寺を紹介します。
正式には妙徳山華厳寺といいます。
秋だけに鳴くはずの鈴虫が一年中鳴いているので鈴虫寺と呼ばれています。
色々な温度設定をした部屋があり、孵化の時期を調整しています。
その数5,000匹。
雄は羽を小刻みに擦り合わせ、優雅な音色を奏でて求愛します。
客間の窓から広がる庭は丁寧に設えられています。
見ごろは雨上がりの朝、根を張らない苔は葉をめいっぱい広げて雨露を直に受けて水分を蓄えるので緑がより一層色濃く映えます。
鈴虫寺のお地蔵さまは草鞋を履いています。
お地蔵さまが願い事をかなえるために自宅まで出向いてくれます。
だから願いごとをするときは、まず初めに住所を伝えます。
願いごとは欲張らずにひとつまで。。。
法話から
無一物(むいちもつ)
人は誰しも産まれた時は何も持たず裸ひとつ。事物は全て空であるから執着すべきものは何ひとつない。
しかし、人は年とともに物やプライドや地位やお金に執着してしまうもの。
柳緑花紅(やなぎはみどりはなはくれない)
柳は緑色、花は紅色。目に見えるこの世の中は、ありのままが一番自然である。
人と比べて落ち込んだり、妬んだりすることはない。
ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン。
即今只今(そっこんただいま)
人生は短く、あっという間に刻はすぎていく。
いつまでも過去をひきづらず、過去の栄華に奢らず、未来のことばかり心配せずに、いまやりたいことを精一杯やり、たった今を思い切り生きる。
冷暖自知(れいだんじち)
自分のことは自分が一番よくわかっている。
人にとやかく言われようとも、水を飲めば冷たいか暖かいかはわかる。
真の悟りは自分で感得するもの。
洗心(せんしん)
毎日風呂に入り、1日の汚れを落とした後、寝床について今日を振り返り心を洗う。
人知れず、誰のためでもなく、履物を揃えるようなほんの小さな行いができただろうか。
キャリアを捨てて会社を離れ、人と比べることも誰かと比べられることも、妬みやそねみや裏切りとは縁遠いところで、人生後半戦の新しい自分探しの日々。
やりたいことをとことんやる!