伏見稲荷をやり過ごし、
サイクルアプリに導かれるままに、名神高速道路沿いの人気のない悪路をしばらく登ったり降ったり。
ようやく山科に入り、目的地「醍醐寺」に到着。
「醍醐寺」は庭園と宝物館を備えた仏教寺院。
応仁・文明の乱で大きな被害を受けて荒廃した後、「醍醐の花見」を契機に秀吉の援助のもと復興。
「唐門」(国宝)は平成22年に創建当時の姿に復興。
黒塗りで、菊と桐の四つの大きな紋に金箔を施していて実に見ごたえがあります。
庭園のみ撮影がゆるされていました。
「藤戸石」は「天下を治めるものが所有する石」として室町時代から歴代の権力者によって引き継がれたもので「天下の名石」といわれています。
秀吉の命による「醍醐の花見」のあと、聚楽第より運び込まれ「主人石」として庭園の中心に据えられました。
運良く住職の解説があったので、しばらく聞き惚れます。
特に「慶長・伏見地震」の際の秀吉の政治手腕のくだりが良かった。
京都では伏見城天守や東寺、天龍寺等が倒壊し、死者は1,000人を超える規模。
そこで秀吉は復興のため、多くの人を雇い、大金を注ぎ込んで金のめぐりを良くしてわずかな月日で京都を経済を再建したんだとか。
今の政治家にもあやかっていただきたいものです。