連続テレビドラマ小説を目覚ましがわりに、何とか生活のリズムを保てている今日この頃。いつもより遅めに洗濯を終えてると、引き続きテレビでは平成の終わりを映し続けています。
呆けているとあっという間に平成最後の今日が終わってしまいそうなので、テレビを切り、パソコンを立ち上げます。
登録した求人情報ポータルサイトから、ここのところ日に数十件のメールが届き、重複情報を見極めながらさばくのに一苦労です。
ブログを再開してから調子が良かったアクセスも、朝から目立って少ないところをみると、同じタイトルで時代を振り返っている方が多いのでしょうか。
平成の始まりは、二十歳の成人式を迎えた年です。学生だったので、当時は特別な節目を感じることはありませんでしたが、一旦セミリタイア に踏み切り、「やりたいことをやる」とセカンドライフに向けて動き出した時期に時代の移ろいが重なるのは、やはり少し感慨深いものがあります。
過ぎ去りし時代を語るほどのものもなく、書き記しておきたいのは、次の人生に向けて何を考えていたかということです。
50代未経験のプログラマー志望という難題を課し、ハローワークと求人情報サイトを合わせて30件足らずの案件に申し込み、すでに書類選考漏れの連絡を10件ほどいただきました。当然想定内なのですが、ストレス耐性を維持するためにあえて50代の転身の難しさをうたう(嘆く、嗤う)サイトの辛辣な意見に目を通します。逆にそれが言い訳にならない程度に。
あと一月も経てば、さらに齢を重ねることになりますが、今さらそれが何か?という開き直りもあったりして。
せっかく学習したことを忘れないように、引き続きアルゴリズムの書に触れ、コードを打つまでです。
ただ、経済的な猶予とは関係なく、どこかに分別という重しを感じながら。
憧れの世代はひと回り上から、ふた回り上くらいまでが多く、時代が終わると言わんばかりに、このところ訃報が続いています。おのずと残された人生のものさしになると感じるのは、やはり歳のせいでしょうか。
「それでも自分だけは」という妙な自信が、近頃少しづつ削ぎ落とされてきたことが、新しい環境を受け入れ、受け入れられるための少しの足しになると信じつつ、
平成の終わりに。。。